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小川町》10万2,000石、稲葉家の屋敷神から町屋の守り神へ。代々守られた「幸徳(こうとく)稲荷神社」のお社は、徳川家斉(いえなり)の時代から。

2017/04/26  

都営地下鉄新宿線 小川町駅のB4出入口を出て、小川町交差点から本郷通りを北へ。三つ目の角を左折して少し進むと、「幸徳(こうとく)稲荷神社」に到着します。

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一階部分は、氏子や周辺住民が使用できる「幸徳(こうとく)会館」で二階が境内。周囲の建物に溶け込んでいるので見逃してしまいそうになりますが、赤いのぼり旗を目印に階段を上がります。

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「幸徳稲荷神社」の創建は定かではありませんが、江戸時代に栄えた10万2,000石の淀藩主、稲葉家の中屋敷に祀られていたのがはじまり。当初は“鍛冶屋稲荷”と呼ばれ、五穀豊穣や武運長久を守る屋敷神だったのです。

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コンパクトな境内の中にあるお社は、江戸幕府 11代将軍徳川家斉(いえなり)の時代から受け継ぐといわれる貴重なもので、代々雨風を防ぎ大切に扱われていることが伺えます。元は極彩色で彩られていたようですが、時を経て趣のある佇まいに。

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“鍛冶屋稲荷”とよばれていた頃、小川町、淡路町など住所に“神田”と地名のつく一帯は、江戸城築城にあたり大きく栄え、武家屋敷と町家の境目であり2つの文化が混在した場所でした。

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明治維新で稲葉家の屋敷は引き払われますが、稲荷はこの地に残り「幸徳稲荷神社」と名を変え、小川町の守護となります。移り住んだ町人たちも氏子として集まり、新しくお社を覆う社殿をつくるなど一丸となって世話をしました。

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さらに1946年(昭和21年)にも、敗戦により一帯を取り仕切っていた町会が解散、分割され、廃絶の危機に追い込まれますが、氏子たちが結成した“幸徳稲荷神社奉信会”によって窮地を脱します。1968年(昭和43年)、同会によって「幸徳会館」が建設され「幸徳稲荷神社」は2階へ移設されました。

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一階で定期的に開かれる集会は明治維新以降から続いており、あたりに住まう人々の絆や、屋敷神から下町の守り神へ変化した神社との強い繋がりを感じます。

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節分祭には神田明神から神職を招き氏子たちが集まり、神田明神の大祭には合わせて宮入参拝を行う。「幸徳稲荷神社」は、下町神田に根付いた“心髄”ともいえる存在なのかもしれません。

幸徳稲荷神社
住所東京都千代田区神田小川町2-14-14
駅・アクセス都営地下鉄新宿線 小川町駅 徒歩3分


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