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高円寺》晴天祈願に、気象予報士試験の合格祈願。日本で唯一、お天気の神様を祀る「気象神社」は、旧高円寺村の鎮守「氷川神社(ひかわじんじゃ)」の境内に遷されました。

2017/05/01  

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JR中央線 高円寺駅 南口を出て、ロータリー沿いに直進します。バス停を越えたところで左へ曲がり、下り坂を進むと「氷川神社(ひかわじんじゃ)」が見えます。

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広々とした境内の中央には神明造りの拝殿があり、その西側では末社を祀っています。御祭神はヤマタノオロチ伝説で知られる須佐之男命(スサノオノミコト)です。

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「氷川神社」といえば埼玉県大宮市の武蔵一宮 氷川神社を総本社とする、日本でも指折りの古社。武家時代には足利・北条・徳川氏、また明治期には明治天皇と、時の権力者たちから深い崇敬を受けました。現在、氷川神社名の社は関東を中心に280数社を数えますが、杉並区内の氷川神社は本社のみとなっています。

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創建については、この地を訪れた源頼朝(みなもとのよりとも)が安達盛長(あだちもりなが)に命じて社殿を建てた、あるいは源頼朝の家臣・村田兵部某が当地に土着し、大宮の氷川神社よりご神意を受けたとも伝えられています。しかし、1639年(寛永16年)の検地帳をはじめ、多くの史料が焼失しているため詳細なご由緒は明らかになっていません。

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文化・文政期に編まれた地誌「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」には、氷川神社について以下のように書かれています。

「除地四段三畝十歩、外に供免一段五畝。小名原にあり、是も鎮守なり。本社三尺四方南向、上屋二間に三間、木の鳥居をたつ、村内高円寺の持。」

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つまり、旧高円寺村の鎮守であったこと、そして「是も鎮守なり」と記されているように、氷川神社とは別にもう一社、鎮守とされる神社が存在したことを示しています。これは現在の「高円寺天祖神社(こうえんじてんそじんじゃ)」にあたり、氷川神社とともに旧高円寺村の鎮守とされていました。この頃の氷川神社は村の中心近くに鎮座し、曹洞宗の名刹「高円寺」を別当寺としていたようです。

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1922年(大正11年)に発生した関東大震災以降は、被害の少なかった高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪エリアに多くの人が移り住むこととなり、高円寺の鎮守である氷川神社はより多くの信仰を集めていきました。その後、1945年(昭和20年)の東京大空襲で社殿を焼失するも、2年後には仮殿にて復興。1971年(昭和46年)に新社殿、社務所、神楽殿、神輿庫、手水舎が落成し、今日に至ります。

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また、仮殿造営の翌年、1948年(昭和23年)には日本で唯一のお天気の神様を祀る「気象神社」が遷されました。

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気象神社は拝殿の西側にあり、氷川神社と同様の神明造りで建てられています。

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気象神社はもともと陸軍気象部の構内に祀られていた神社で、本来ならば戦後の神道指令で撤去される予定だったそうです。しかし、連合軍宗教調査局の調査漏れで撤去を免れたため、当時の氷川神社宮司が神社を払い受け、1948年(昭和23年)に氷川神社例大祭とともに遷座祭を行ったといいます。

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下駄を象った絵馬や気象記念日に合わせて行われる例祭、傘や太陽を描いた御朱印など “お天気” にまつわる遊び心も満載。晴天祈願はもちろん、気象予報士試験の合格祈願に訪れる人も多いようです。

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ちなみに、高円寺の風物詩「東京高円寺阿波おどり」も、そもそもは氷川神社の奉納舞踊として始まったものです。第1回の1957年(昭和32年)から少しずつ町会・自治会を拡大し、現在では踊り子1万人、観客延べ100万人を誇る、東京都内でも最大規模のイベントに成長しました。普段はしずかな神社ですが、例大祭が行われる8月下旬には多くの人で賑わいます。これも氷川神社が高円寺にとって大切な存在であることを示す、ひとつのエピソードと言えるでしょう。

氷川神社
住所〒166-0003 東京都杉並区 高円寺南4丁目44番19号
駅・アクセスJR中央線 高円寺駅 徒歩2分


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