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秋葉原》1922年(大正11年)「和泉町ポンプ所」竣工。それは関東大震災、前年のこと。

2015/07/03  

JR秋葉原駅「昭和通り口」から、昭和通りを渡り北へ向かいます。2つ目の信号を右に入り、浅草橋方面に少し歩くと「和泉町ポンプ所(いずみちょうポンプじょ)」が見えます。

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鉄筋コンクリート造の2階建てに、外壁は煉瓦風のタイル。ぐるっと囲む塀は西洋風の赤煉瓦。すごくクラシックです。

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このあたりは小さなお店や事務所、住居が密集する地区ですが、戦災の被害により、ほとんどは戦後に建てられたもの。戦前より残る和泉町ポンプ所は貴重な建築物なのです。

となり町の佐久間町(さくまちょう)には、かつて材木商が住んでおり、たびたび大火の火元となったため、江戸っ子から「悪魔町」なんて呼ばれていたそう。

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ポンプ所にはいくつかの役目がありますが、ひとつは水害の防止です。雨水を排出できない低い土地に設けられ、水を河川に送り出します。町の人たちが安全に生活するうえで、大切な施設です。

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和泉町ポンプ所は汚水を処理場に送る施設で、日本初の近代下水処理場である「三河島汚水処理場(みかわしまおすいしょりじょう)」と同時期に稼働しました。

下水処理場の導入を含め、電気・電車の開通など、近代化の波が押し寄せる大正時代。和泉町ポンプ所の竣工は1922年(大正11年)、関東大震災の前年です。

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竣工の翌年。大地震とともに発生した火災は日本橋から神田方面に及び、ミツワ科学試験所、東京衛生試験所などから次つぎと出火。消火活動は万世橋消防署(まんせいばししょうぼうしょ)のポンプや消防隊によって行われたといいます。

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和泉町付近にも火の手が迫り、町内の高齢者や子どもが上野方面に避難したのは夕方頃。三方から火が迫り、周囲の町は次つぎと延焼、和泉町に燃え移るのも時間の問題でした。

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そんな中、町のリーダーの呼びかけに応え、消火にあたる人びとがいました。「悪魔町」の名を払拭するために、日頃より消火訓練をしていたという人たちです。消火栓をもつ水道はすべて壊れてしまったため、桶やバケツを持ち寄り集まったといいます。

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昼夜つづく消火活動。主力のひとつが和泉町ポンプ所です。町の人びとは貯水池や神田川の水を汲み上げ、バケツリレーで消火にあたりました。地元の病院職員、会社の社員たちも力を合わせて消火活動にあたったといいます。

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震災から3日目の朝。現在の東京タワーからスカイツリーあたりにまで及んだという焼野原のなか、和泉町と佐久間町の近辺だけが町の形を残しました。

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東京府はこの出来事を後世に伝える「防火守護地」を建て、人々の心意気を讃えました。
東京大空襲にも耐えた和泉町ポンプ所は、現在も町のために動いています。

悪魔町の名を払拭し、人々の勇気と行動力が示した「関東大震災の奇跡」と言われるエピソード。
この教訓を忘れず、次の大震災に活かすことは私たちの役目なのかもしれません。

和泉町ポンプ所
住所〒101-0024 東京都千代田区神田和泉町1-3-12
駅・アクセスJR秋葉原駅 徒歩6分


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