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本郷三丁目》徳川家康、勝利のお守り!?三大危機「三河一向一揆(みかわいっこういっき)」を勝利に導いた「三河稲荷神社」。

2015/09/16  

東京メトロ丸の内線・大江戸線 本郷三丁目駅 1番出口を出て、左へ。最初の交差点を渡り、左に進みます。

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3つ目の路地に入ると左手に「三河稲荷神社(みかわいなりじんじゃ)」が見えます。

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朱色の鳥居、「三河稲荷神社」と書かれた旗、参道の脇に置いてある植木鉢。こじんまりとはしていますが、華やかさのある神社でした。

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祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)です。三河稲荷神社は400年以上存在する歴史ある神社です。

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「三河稲荷神社」は、もともとは愛知県に鎮座していました。
1560年(永禄3年)桶狭間(おけはざま)の戦いで今川氏の支配から解放された徳川家康は、三河の国(現在の愛知)の統一に取りかかります。尾張(おわり)の織田信長とも同盟を結び、三河の国のほとんどが家康の勢力下に入ります。

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社殿の脇には、赤い目をした狛犬の姿がありました。

1563年(永禄6年)徳川家康の家臣が、上宮寺(じょうぐうじ)
という寺院から糧米(りょうまい)を強制的に徴収しようとします。

これに反抗した上宮寺は、実力で糧米を奪い返します。また、同じ一向宗本願寺派(いっこうしゅうほんがんじは)の門徒に檄文(げきぶん)を送り、本證寺(ほんしょうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)、本宗寺(ほんしゅうじ)も加勢。三河一向一揆(みかわいっこういっき)と呼ばれる反乱に発展していきます。

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家康の家臣の中にも一向宗徒が数多くおり、名のある武将が何人も一揆側に寝返ります。

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一揆の際、稲荷山迎接院隣林寺(いなりさんげいせついんりんしょうじ)に陣を構えていた徳川家康は、「三河稲荷神社」に勝利祈願をします。苦戦の末半年の年月を経て、反乱を鎮めることに成功しました。

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「必勝祈願」と書かれた家康の絵馬もありました。

1590年(天正18年)家康は江戸城に入城します。
先勝祈願が叶うお守りとして信仰していた「三河稲荷神社」を江戸城内に勧請(かんじょう)します。1606年(慶長11年)領地である大縄地(おおなわち)(現在の東大付近にあった武家屋敷)に仲間が移住した際、その土地の氏神として奉還(ほうかん)しました。

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1694年(元禄7年)になると大縄地は「本郷元町(ほんごうもとまち)」と改称され、1丁目、2丁目の氏神(うじがみ)として鎮座します。

1923年(大正12年)の関東大震災によって全焼しますが、氏子の寄付により、1924年(大正13年)6月に改修され、現在に至ります。

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家康の入府後、文京区には大名屋敷(だいみょうやしき)、武家屋敷が置かれ、伝通院(でんづういん)、護国寺(ごこくじ)、根津神社(ねづじんじゃ)などの寺社が創建され、次第に町が形成されていきます。江戸の発展とともに商業活動も活発に行われるようになりました。

「郷」とは、古代において行政の単位の1つ。その地域で、政治的、経済的、流通的に中心となる役割を果たす郷を「本郷」と呼ぶようになったそうです。

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珍しい「こどもおみくじ」もあります。
内容は短歌の代わりにカルタ風の歌が書かれているそうです。

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「三河稲荷神社」は青山にも存在しています。三河から神田三河町(現在の千代田区神田1丁目、2丁目付近)に移住してきた50人組が勧請した神社だそう。元あった場所が天皇の御用地(ごようち)になったため、現在は青山霊園の北西側に鎮座しています。変遷は違いますが、本郷三丁目の「三河稲荷神社」の分社であると考えられますね。

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仕事、受験、恋愛など、日常に訪れるちょっとした勝負の日。家康の勝利にあやかって「三河稲荷神社」にお願いをすれば、いい結果をもたらしてくれるかもしれません。

三河稲荷神社
住所〒113-0033 東京都文京区本郷2丁目20-5
駅・アクセス東京メトロ丸ノ内線・大江戸線 本郷三丁目駅 徒歩5分
Webhttp://www1.tcn-catv.ne.jp/mikawainari/
電話番号03-3815-6816


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