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八丁堀》1904年(明治38年)架橋の旧両国橋を再利用した『南高橋』は、現役で河川にかかる道路橋としては「東京都内最古の鋼鉄トラス橋」です。

2015/11/10  

東京メトロ 日比谷線、JR京葉線 八丁堀駅の京葉線側の一番東にあるA1出口を出ます。そこは「高橋」のたもとで、目の前の向こう、南側にトラス橋「南高橋(みなみたかはし)」が見えます。信号を渡って真っすぐその方向へ進み、湊(みなと)一丁目交差点を左に曲がってしばらく歩けば「南高橋」に到着です。

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「南高橋」が新川二丁目と湊一丁目を結び、「亀島川(かめじまがわ)」に架橋されたのは、1932年(昭和7年)です。実は、この美しいトラス橋の本体は、1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受けた隅田川にかかる旧両国橋の3連トラス橋のうちの1セクション、中央径間(3連トラスの真ん中)なのです。

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当時、東京市は震災により破損した多くの橋を架橋し予算不足となったため、損害が少なかった旧両国橋の中央径間を補強、幅を約3分の1に縮小し、高さを下げて再利用しました。

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つまりトラス橋そのものの製造は旧両国橋が架橋された1904年(明治38年)にまで遡ることになります。現役で使用されている河川にかかる道路橋としては、東京都内最古の明治時代をうかがい知る貴重な橋で、中央区民有形文化財にも指定されています。鋼鉄トラス橋としては全国で6番目に古い橋でもあります。

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どこかの立派なゲートのような品格があり、端正な出で立ちです。中央に掲げられた扁額(へんがく)には右読みで「橋高南」と書かれています。

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このトラス橋のように、トラス上部の斜材が逆ハの字に配置されたものをプラットトラスと呼びますが、その斜材と垂直の柱を大きなピンで結合していることなどからも、明治時代の古いトラス橋であることを感じることができます。

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橋が架かっている「亀島川」は「日本橋川」が分流し隅田川へ合流する流路約1kmの短い川で、江戸時代には「越前堀」とも呼ばれ、江戸に入る船があらためを受けていた川です。その「亀島川」が隅田川に合流する地点には「亀島川水門」が設置されています。

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この水門は1969年(昭和44年)製の防潮水門です。形式は鋼製単葉ローラーゲート、径間15m×2連、門扉(もんぴ)高さ8m、開閉時間12分(自重降下4分)というスペックです。亀島川上流の「日本橋川」からの分流地点に設置されている「日本橋水門」とともに高潮や津波から、流域や東京の街を守っている大事な施設です。

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「亀島川水門」を右手に、「南高橋」の左側を新川へ向けて渡りきると、橋のたもとに「徳船稲荷神社」が現れます。徳川の時代、ここからもう少し歩いた先に、越前松平家の広大な下屋敷があり、そこに小さな稲荷が祀られていたのが、この神社の始まりです。御神体は徳川家の遊船の舳(じく:船のへさき)を切って彫ったものと伝えられています。

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そこから幾多の災難が続きます。1657年(明暦3年)の大火、振袖火事がこの辺りにもおよび、御神体が焼けてしまうのを免れ、1922年(大正11年)まで、土地の恵比須稲荷に安置されますが、関東大震災で再度救出、1931年(昭和6年)には現在の中央大橋の北のたもとに社を復活させ守護神として鎮座します。

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ところが、今度は戦災で全焼してしまいます。1954年(昭和29年)に同じ場所に再建するも、1991年(平成3年)、中央大橋架橋工事のため現在の「南高橋」のたもとに遷座しました。

300年以上の時を超えた、波乱に満ちた変遷。最後はかつての「越前堀(現亀島川)」のほとり、越前松平家の下屋敷のそばに戻ってきました。

明治のトラス橋「南高橋」。
昭和の防潮水門「亀島川水門」。たもとには、江戸時代から続く小さな「徳船稲荷神社」。八丁堀から新川へ渡れば、水辺の小さなエリアにギュッと詰まった歴史を垣間みることができます。

南高橋
住所〒104-0033 東京都中央区新川2丁目31−22
駅・アクセス東京メトロ 日比谷線、JR京葉線 八丁堀駅 A1


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