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八丁堀》酒問屋から信仰の厚い「新川大神宮(しんかわだいじんぐう)」。伝統的な「新川締め」で、日本酒業界の繁栄を祈願。

2015/12/25  

東京メトロ 茅場町駅 3番出口から駅を背にして歩き、亀島川(かめじまがわ)にかかる「霊岸橋(れいがんばし)」を渡ります。先の交差点を右に曲がり、最初の角を左折すると程なく進んだ、三方をビルに囲まれた場所に「新川大神宮(しんかわだいじんぐう)」があります。

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新川大神宮のご祭神は、天照大神(あまてらすおおかみ)と、豊受大御神(とようけのおおみかみ)。総本社は三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮(いせじんぐうないくう)です。

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この地域の呼び名が「霊岸島(れいがんじま)」から「新川」に変わった江戸時代より、新川には酒問屋が多く集まっています。というのも、1657年(明暦3年)に起こった大規模な火災「明暦の大火(めいれきのたいか)」の後、区画整備に伴い、茅場町、日本橋、呉服町、南伝馬町、瀬戸物町、伊勢町などにあった酒問屋や酒造家が、こぞって水運の便利な新川へ移住したためです。

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当時の江戸の人口は100万人といわれ、世界の中でも最大級の都市でした。物資の多くを江戸の外部に依存しており、日本酒も水運で関西地方から江戸へと大量に運びこまれていました。人々は今よりお酒をよく飲んでいたそうで、毎年100万樽ほどの酒が江戸で飲まれていたといわれています。

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新川では酒問屋が100件近く店を並べるほど繁栄し、酒類の一大市場となっていたそうです。その頃から新川大神宮は、新川の土地を守る産土神(うぶすながみ)として、町民や酒問屋から信仰されていました。

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当時、新酒が新川の河岸に着くと、それを初穂(はつほ)として神前に供えてから販売されていたともいわれています。

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もともと新川大神宮(しんかわだいじんぐう)は、総本社の伊勢神宮内宮を江戸から拝むための「遙拝所(ようはいじょ)」でした。江戸城 三の丸(現在の代官町)にある伊勢内宮の社僧の邸宅内にありましたが、「明暦の大火」にて焼失してしまい、新川に場所を移して再建しました。

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1945年(昭和20年)3月9日、第二次世界大戦末期に起きた東京大空襲の戦災により、再び社殿を焼失してしまいましたが、有志の酒問屋により再建されました。以降、新川大神宮は日本酒業界の守り神として信仰されているのです。

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新川大神宮では毎年、酒類業界の発展を祈願して例大祭が行われます。例大祭の後には、神前にお供えしたものを参列者一同でいただく「直会(なおらい)」が開催され、業界の関係者が懇親を深めています。

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例大祭と直会の際、「新川締め(しんかわじめ)」という独特な手締めが行われます。「新川締め」は、江戸時代にたいへん活気があった新川の酒問屋街にて、商談成立を祝い、お客と売り手の繁栄を祈願して行われる、めでたい手締めです。

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新川締めの手順。

1.「ございました!」
(酒が盃に注ぎ終わったら発声。商いの成立を確認する意味とも言われています。)
2.「お手を拝借」
(皆に手拍子をお願いする合図。)
3.「いょーーーぃ!」
(いよいよ手締めを始める合図。)
4.手締め。
「ヨイ ヨイ ヨイ (コラ) ヨイ ヨイ ヨイ (コラ) ヨイ」
ちょん ちょん(※発声せず2回手拍子) 「ご繁盛〜」
5.なみなみとお酒が注がれた大盃を”ご繁盛” の掛け声・手拍子に合わせて飲み干します。

“ヨイ”と、“ご繁盛”は発声しながら手拍子。“コラ”は発声のみです。
7・5・3というリズムで手打ちすることから、別名「7・5・3締め」とも呼ばれています。

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参会者は次々と新川締めを行い、飲みっぷりが悪いと「罰杯(ばっぱい)」のペナルティがあるようです。昔から今に引き継がれる、江戸商人の景気付けと“粋”なのかもしれません。

日本酒業界を繁栄させた先人達の伝統を忘れず、世界に誇る日本酒のさらなる繁栄を願って、酒問屋たちは新川大神宮に「新川締め」を響かせます。

新川大神宮
住所 〒104-0033 東京都中央区新川1丁目8−17
駅・アクセス東京メトロ 茅場町駅 徒歩7分


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