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赤坂見附》比叡山の神仏習合神・山王を江戸で祀った「日枝神社(ひえじんじゃ)」。徳川歴代将軍も上覧した山王祭は、江戸三大祭のひとつ。

2016/04/14  

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東京メトロ銀座線・丸ノ内線「赤坂見附駅」11番出入口を出て、外堀通りを溜池山王駅の方へ進んでいくと、左手に「山王鳥居」という石造りの大きな鳥居が見えてきます。

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赤坂の繁華街を臨む小高い丘のうえに、「日枝神社」の本殿はあります。上までは「山王橋」という幅広の階段が伸び、エスカレーターも備わっている近代的な参道です。かつてここには溜池があり、江戸時代には渡し船で溜池を渡って参拝をしていましたが、1876年(明治9年)に日吉橋という橋がかけられました。のちに溜池は埋め立てられましたが、現在の「山王橋」という参道の名はそこに由来しているのでしょう。

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日枝神社は徳川家と江戸城の鎮守、そして江戸の町の総氏神として信仰されてきました。毎年6月初旬に行われる「山王祭」は、京都の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本三大祭のひとつに数えられています。

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同時に、江戸三大祭りのひとつでもあります。神田明神の神田祭、富岡八幡宮の深川八幡祭、そして日枝神社の山王祭です。太鼓の音とともに人々が歌い踊る納涼大会や、茅を巻いた大きな輪をくぐり厄災をはらう「芽の輪くぐり(ちのわくぐり)」、子供達の健康を願う「稚児行列」などが行われます。

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日枝神社の境内には、猿の像がみられます。「神猿(まさる)」と呼ばれる神の使いで、「魔が去る」、「何事にも勝る」として、縁起がいいとされています。この神猿たちは、日枝神社と山王信仰との関わりを示すものです。

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日枝神社の祭神は「大山昨神(おおやまくいのかみ)」。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の孫神で、大物主神(おおものぬしのかみ)と共に、滋賀県の比叡山を司ります。

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2神を祀る総本山が、比叡山に座す「日吉大社」であり、ここから勧請を受けた神社は「日吉神社」「日枝神社」「山王神社」等の社名が付き、全国に約3800社ほどあります。特に「日枝」の名前は、比叡山がもともと日枝山(ひえのやま)と呼ばれていたことに由来します。

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比叡山は天台宗の祖・最澄が788年(延暦7年)、天台宗の本山として延暦寺を開いた地でもあります。天台宗は、比叡山の神であった大山昨神と大物主神を仏教的に解釈し、「山王」として天台宗の守護神としました。そして、この神仏習合によって生まれた山王の信仰は、山に住む猿を神使とします。

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赤坂の日枝神社も、古くから「山王さん」の名で親しまれています。「日枝神社」の社名が用いられたのは1868年(明治元年)以降、明治政府によって神仏分離の政策がとられてからでした。

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ところで、比叡山の山王信仰の流れをくむ日枝神社が、なぜ江戸の鎮守の神として、そして徳川歴朝の産土神(うぶすながみ)として信仰を集めるようになったのでしょう。

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日枝神社の始まりは鎌倉時代、江戸を治めていた江戸重継(えどしげつぐ)が自身の館の中に日吉大社を勧請し、「日吉社」としたことです。その後1487年(文明10年)、太田道灌が当時「平山城」とよばれたのちの江戸城築城にあたり、城内にこの日吉社を遷座させました。

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家康が江戸城へ入府した後、日吉社は城内の紅葉山に新社殿を造営して祀られるようになります。元々江戸城周辺の鎮守を担ってきた日吉社を、家康は大切に信仰したのです。その背景には、家康の側近である天台宗の僧侶・天海の存在がありました。

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天海は、家康が天下を治める新たな本拠地を構える際、地相や陰陽五行説に基づいて江戸を勧めた人物です。家康の死後、紅葉山を霊廟とし、それを守護する役割を、自身と深い関わりのある山王信仰の日吉社に担わせたのです。

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そして二代将軍秀忠の治世におこなわれた江戸城の大改造に伴い、社は半蔵門外に遷座されました。これにより、江戸庶民も参拝に訪れることができるようになり、徳川将軍家だけでなく、江戸の地の守り神として信仰がさらに深まります。

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しかし1657年(明暦3年)、江戸は大火災に見舞われ、社殿も炎上してしまいます。時の将軍・家綱は、赤坂の溜池を望む今の地へ、権現造の社殿を作り遷座させました。

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この時、もともとこの地にあった山王稲荷神社と、猿田彦神社を末社として合祀します。山王稲荷神社は火伏せのご利益があり、猿田彦は山王の神使ともされる猿田彦神を祀ります。のち、1887年(明治19年)になってから、牛頭天王を祀る八坂神社も合祀されました。牛頭天王は、山王である大山昨神の祖父神、素戔嗚尊と同一視される神です。

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遷座にこの溜池の地が選ばれたのは、江戸城本丸の裏鬼門を守るためだという説があります。鬼門は鬼が入ってくる北東の方角のことで、裏鬼門はその反対、南西の方角を指し、これも同様に忌み嫌われます。明暦の大火のような大惨事が二度と起きないよう、鬼門を湯島の神田明神、そして裏鬼門を日枝神社で封じたとも言われています。

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徳川歴代の将軍や諸大名たちは、毎年正月と山王祭の6月に参拝し、また国政に事がある時には必ず祈祷をしたそうです。その証に、宝物殿には歴代の将軍の朱印状や、奉納された刀剣が保管されています。

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現在の日枝神社は、霞が関や赤坂の繁華街のすぐそばにありながら、境内は木々が深々と生い茂り、穏やかな静けさに包まれています。「星ヶ丘」とよばれていたこの小高い丘は、夜に星が良く見えることからついた名で、すぐそばにある日比谷高校の校歌や文化祭、後援団体の名前などに、いまも「星陵」の名前が残っています。

日本の中心部であった江戸城と、徳川将軍家を守ってきた、山王とその使いの神猿(まさる)たち。東京の大都会のなかにあり、エスカレーターで参拝できる小さな星ヶ丘の森で、いまも参拝者を見守っています。

日枝神社
住所〒100-0014 東京都千代田区永田町2-10-5
駅・アクセス東京メトロ銀座線、丸ノ内線「赤坂見附駅」徒歩5分
営業時間4月~9月 :午前5時~午後6時
10月~3月 :午前6時~午後5時
Webhttp://www.hiejinja.net/
電話番号03-3581-2471


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