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大手町》鎌倉から、三河から…。徳川三代にわたる江戸城増築で「鎌倉河岸(かまくらがし)」が賑わいました。「鎌倉橋」を渡り「御宿稲荷神社(おんじゅくいなりじんじゃ)」を訪ねます。

2016/07/19  

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東京メトロ丸ノ内線 大手町駅A1番出入口を都道402号線沿いに北へ。ビル街を通り抜けると「鎌倉橋」に着きます。

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鎌倉橋は日本橋川に架かる、大手町一、二丁目と内神田一、二丁目を繋ぐコンクリ-ト製のアーチ橋。1929年(昭和4年)に関東大震災の復興事業で造られた橋の一つです。

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橋の欄干には、1944年(昭和19年)11月、第二次世界大戦のさなかに受けた爆撃と機銃掃射の際に受けた銃弾の跡が大小30個ほど残されています。ビジネスマンたちが行き交う情景からは想像のつかない、当時の凄惨な状況を物語っています。

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「鎌倉橋」の由来は、内神田寄りの河岸一帯が「鎌倉河岸(かまくらがし)」と呼ばれていたため。鎌倉河岸誕生は、徳川家康が江戸城(千代田城)の改修に乗り出すところから始まります。
 
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当初、江戸城は室町時代の武将、太田道灌(おおたどうかん)が築いた簡素な城塞のみでした。1590年(天正18年)、豊臣秀吉の命により、徳川家康が関東240万石の領主として江戸城の改修に手を付けます。

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その後、秀吉の死によって始まった「関ヶ原の戦い」で勝利し、1603年(慶長8年)、江戸幕府を開くと共に城の増築を計画します。材木商たちが鎌倉から呼び寄せられ、現在の鎌倉橋付近は、材木や石材を運び込む荷揚げ場「鎌倉河岸」に。建築部材にとどまらず、米や炭、海産物も集まり、船の行き交いは相当な数であったと推測されます。職人たちが周辺に住まうと「鎌倉町」へと変化を遂げていき、1657年(明暦3年)刊行の「進添江戸之図(しんてんえどのず)」には既に「かまくら丁」の名が記されています。

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後に徳川三代にもわたる大がかりな事業により、水路や街が整い、人が増えれば商うものも増える。現在、東京で最古の酒舗である「豊島屋」も、鎌倉河岸付近で酒屋兼居酒屋を営んだのが始まりです。見世物や遊郭など娯楽も多くあったことから、今でいう新宿や渋谷のような全国から成功を夢見るものが集う繁華街であったことが想像できます。

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かつて徳川家康の手によって栄えた神田、大手町周辺には、他にも、ゆかりの地が多く存在します。鎌倉橋を渡り切り、鎌倉橋交差点を渡った次の角を左へ。少し進むと、ビルとビルの狭間に「御宿稲荷神社(おんじゅくいなりじんじゃ)」があります。

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御宿稲荷神社は、家康の足跡を記念して創られた神社です。江戸へ移封の際、宿を取った家臣宅に「宇迦之魂命(うかのみたま)」が祀られており、その後、御宿稲荷として信仰されるようになります。その後、幕府より社寺が寄進され「御宿稲荷神社」創建に至ります。

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周辺は、家康が三河国の出だったことから、三河出身の家来も多く住み「三河町」と呼ばれていました。御宿稲荷神社のあたりが、ちょうど鎌倉町と三河町の境目だったとも言われています。

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「宇迦之魂命」は、農耕の神、商工業の神、商売繁盛の神として全国の神社で祀られています。家康公のありがたみも加わり、鎌倉町、三河町どちらの住人にも厚く信仰される神社だったことでしょう。

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鎌倉橋と御宿稲荷神社。あわせて訪れ、時代の礎となった徳川家康や、この地に居を移し街を築いた町人に想いを巡らせます。

鎌倉橋
住所東京都千代田区内神田1-6-8
駅・アクセス東京メトロ丸ノ内線 大手町駅A1番出入口 徒歩7分
御宿稲荷神社
住所東京都千代田区内神田一丁目~大手町二丁目
駅・アクセス東京メトロ丸ノ内線 大手町駅A1番出入口 徒歩5分


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