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学ぶ歩く

三軒茶屋》世田谷区に路面電車形式の軌道線が残る理由。JRも地下鉄もない地域性に隠された「世田谷線(せたがやせん)」の歴史は、「若林踏切(わかばやしふみきり)」と「宮の坂駅(みやのさかえき)」で感じることができます。

2016/10/19  

東急世田谷線は、東急田園都市線 三軒茶屋駅(とうきゅうでんえんとしせん さんげんぢゃやえき)から、京王線 下高井戸駅(けいおうせん しもたかいどえき)を結ぶ路線で、都電荒川線(あらかわせん)とともに都内に残っている、路面電車形式の軌道線です。

しかし、あくまで路面電車風であり、厳密には、全区間を通して道路以外の場所を走る専用軌道の電車になります。

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『世田谷線散策きっぷ(1日乗り放題)』の裏を見ると、全体像がよくわかります。

「世田谷線」の名のとおり、路線距離5km・10駅すべてが世田谷区内にあり、全区間を乗車した場合でも、18分ほどの短い時間となります。そのような小規模な路線ですが、京王(けいおう)・小田急(おだきゅう)・東急(とうきゅう)という、東京の西方向に伸びる私鉄路線を南北に貫くバイパスとして重要な交通路となっています。

また、沿線には「松陰神社(しょういんじんじゃ)」や「豪徳寺(ごくとくじ)」などの名所旧跡や、「世田谷公園(せたがやこうえん)」や「烏山遊歩道(からすやまゆうほどう)」などの自然に親しむ場所も多く、区外から訪れる人々にも利用されています。


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世田谷線は、1925年(大正14年)に、玉川電気鉄道(たまがわでんきてつどう)の支線として、三軒茶屋駅と世田谷駅の間が開業されました。

渋谷駅(しぶやえき)と二子玉川園駅(ふたごたまがわえんえき)を結ぶ本線は、多摩川の砂利を都心に運ぶ役割を担い、関東大震災(かんとうだいしんさい)の復興においても活躍しましたが、1938年(昭和13年)に本線・支線ともに、東京横浜電鉄(とうきょうよこはまでんてつ)に合併され、玉川線(たまがわせん)と称することになります。


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1969年(昭和44年)になると、かつての本線部分が廃止され、残された支線部分が世田谷線と改称し、いまに至ります。この支線部分が残された理由は、道路以外の場所を走る専用軌道であったことと、周辺の道路整備が進んでいなかったことが挙げられます。


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世田谷区は、東京23区のなかで最も人口が多く、面積は大田区に次いで2番目に広い区ですが、江戸時代(1603年~1868年)は、江戸の範囲に含まれず、明治時代(1868年~1912年)においても、東京15区に含まれない農村地帯でした。

その後、急速に住宅地として発展したため、計画的な区画整理がおこなわれず、農道がそのまま現在の道路になったそうです。そのため、一方通行や狭い道が多い状態となってしまいました。


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また、東京の鉄道網は、江戸時代の街道を元に整備されていったこともあり、世田谷区においては、鉄道の整備も遅れていました。その後、東京西部が都心のベットタウンとして発展していくに伴い、京王・小田急・東急などの私鉄各線が東京西部に路線を走らせ、世田谷区の鉄道は、都心と直結した東西方向の流れとして発達していきました。

現在でも、世田谷区は、地下鉄とJRの両方が通っていない唯一の区になっています。


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このように、道路の整備が進まなかったことと、鉄道網が東西に発展していったことで、南北に伸びる世田谷線が、小さいながらも昔の姿のまま生き残ることになりました。

そして、これらの地域性が、「若林踏切(わかばやしふみきり)」という変わった踏切で、顕著に表れています。


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若林踏切は、環七通り(かんななどおり)と交差する踏切ですが、一般的な踏切と異なり、電車が信号待ちをする珍しい光景を見ることができます。ここでは、車側には一旦停止の義務はありません。電車が接近しても、車の通行を遮ることなく、車側の信号が赤になったら歩行者とともに道路を横断します。


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かつては、警報機と遮断機がついた普通の踏切でしたが、環七通りの交通量が爆発的に増加したため、渋滞緩和の目的で、1966年(昭和41年)に現在の姿に変わりました。


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信号待ちをしている電車の姿は、ちょっとかわいいですね。世田谷線の特徴を感じられる撮影スポットです。


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現在の世田谷線の車両は、300系が10編成あり、これが2両編成で運行されています。色は、赤・緑・黄など様々で、10編成全て異なっています。広告などラッピングしたものもあり、個性豊かな車両もまた、世田谷線の魅力の1つです。


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開業当初に使われていた車両は、江ノ島電鉄(えのしまでんてつ)に譲渡され、その後、里帰りしたものが「宮の坂駅(みやのさかえき)」の前に、保存されています。

設置場所の表側が、車両の前面ではなく連結面になっているのは諸説あるようですが、一説には設置の際のミスという話もあります。


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この車両は、デハ80形。木の床や座席の雰囲気など、とても趣のある車両ですが、65年におよぶ現役生活のなかで、時代に合わせて前照灯や窓枠など改造されていき、いまの姿になりました。


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1925年(大正14年)に製造され、1969年(昭和44年)まで世田谷線として半世紀もの長い間走り、その後1990年(平成2年)まで「江ノ島電鉄」で活躍しました。世田谷線というより、「江ノ電」として、この車両を知っている人も多いかもしれません。


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このように、地域の人たちの重要な交通路であると同時に、かつての東京の鉄道の面影を残す路線でもあり、愛好者団体「世田谷線サポーターズクラブ」が発足されるなど、路面電車風の存在は、多くの鉄道ファンを魅了しています。

新しい車両となったいまでも、そのレトロな雰囲気を残しており、沿線の観光スポットや「ボロ市」などのイベントに訪れる際は、ぜひ世田谷線や東京の鉄道史にも触れたいですね。

三軒茶屋駅
住所〒154-0004 東京都世田谷区太子堂2丁目15
駅・アクセス東急田園都市線 三軒茶屋駅 徒歩3分
Webhttp://www.tokyu.co.jp/ekitown/sg/


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