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北品川》かつて“洲崎弁天”と呼ばれた「利田神社(かがたじんじゃ)」、都内に唯一現存する「鯨塚」や「品川浦の船だまり」は、漁村と江戸の人々の賑わいを伝えます。

2017/01/19  

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京浜急行電鉄本線 北品川駅を出て左に進み、左手に見える踏切を渡ります。そのまま直進し「北品川商店街」に出たら右に進み、一つ目の角を曲がります。進んだ先の道路で横断歩道を渡り、「北品川橋」を越え水辺沿いに進むと、品川浦公園の奥に「利田神社(かがたじんじゃ)」があります。

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利田神社は、1626年(寛永3年)に東海寺の和尚である沢庵宗彭(たくあんそうほう)が、福徳・諸芸術、また海の神とも言われる弁財天(べんざいてん)を勧請したのが始めと言われています。当時、この地は岬状の洲でしたので洲崎(すさき)と呼ばれていたことから、「洲崎弁天(すさきべんてん)」と称されていました。

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江戸時代、洲崎弁天のあるこの一帯は“品川浦”と呼ばれる漁師町で、漁業や海苔作りが盛んでした。洲崎弁天は海岸近くにある土手の先端に位置していたため、多くの漁師が参拝に訪れていたそうです。

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品川浦は、江戸の人々の行楽地としても栄えており、はぜ釣りや船遊び、潮干狩などを楽しむ他、日の出の名所としても大いに賑わいました。

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江都名所 洲崎弁天境内/国立国会図書館ウェブサイトより転載

江戸内でも人気の場所でしたから、江戸時代末期に活躍した浮世絵師・歌川広重の「江都名所 洲崎弁天境内」や「名所江戸百景 第83景 品川すさき」をはじめ、多くの名所絵に洲崎弁天の姿や人々で賑わっている様子が描かれています。

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1798年(寛政10年)5月1日、品川浦をさらに賑わせる出来事が。前日からの暴風雨にもまれ、体長16.5メートル、高さ1.8メートルの大きな鯨が品川沖に迷い込んだのです。漁師達は、総出で鯨を浅瀬に追い込み捕まえました。

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この出来事はたちまち江戸に広まり、大勢の見物客が訪れました。11代将軍の徳川家斉(いえなり)までもが、浜御殿(現在の浜離宮恩賜公園)で上覧するほどの賑わいだったそう。その後、鯨の骨は洲崎弁天の境内に埋められ、塚の上に鯨碑を建て手厚く供養されました。

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社殿の西側にある敷地には、今でも「鯨塚」と、鯨塚の由来が書かれた「鯨碑」があります。鯨塚は1906年(明治39年)に再建されたもののようです。

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鯨の供養を目的として作られた塚は、東京都内に唯一現存する鯨碑として、品川区の指定有形文化財となりました。

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洲崎弁天の名前が「利田神社(かがたじんじゃ)」に変わるのは1868年(明治元年)3月。神社から仏教的な要素を取り除くために、明治政府が「神仏分離(しんぶつぶんり)」の政策を行いました。社名は、この一帯を開発していた利田吉左衛門(かがたきちざえもん)の名前をとって「利田神社」に、御祭神は「市杵島姫命(いちきしまひめ)」と改め、現在に至ります。

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利田神社の隣にある、品川浦公園。大きな鯨のモニュメントや、可愛らしくデフォルメされた鯨の遊具があります。

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すぐ近くには、しながわ百景「品川浦の船だまり」。東京湾と繋がる水路に釣り船や屋形船が浮かぶ、昔ながらの光景です。

かつては漁村や行楽地として賑わう地でしたが、今では民家が建ち並び、穏やかな空気があります。そんな中、昔と変わらず在り続ける利田神社や鯨塚、品川浦を訪れると、江戸の人々の賑わいと波の音が聞こえるようです。

利田神社
住所〒140-0002 東京都品川区東品川1丁目7
駅・アクセス京浜急行電鉄本線 北品川駅 徒歩6分


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