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歩く見る

森下》大久保忠恕(おおくぼたださと)の屋敷神からはじまった「大久保稲荷神社(おおくぼいなりじんじゃ)」。激動の幕末期を生き抜く武将に思いを馳せる、五間堀跡めぐり。

2017/02/27  

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東京メトロ大江戸線・都営新宿線 森下駅 A5 出入口を出るとすぐ右手側に「五間堀公園(ごけんぼりこうえん)」があります。

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かつてこの地には小名木川(おなぎがわ)と堅川(たてかわ)を結ぶ六間堀(ろっけんぼり)から分かれた「五間堀(ごけんぼり)」が流れていました。「五間堀」は1657年(明暦3年)の「明暦の大火(めいれきのたいか)」により一帯の再開発が進められた時期に開削され、重要な役割を担っていた水路です。川幅が5間(約9m)であることがその名称の由来となっており、公園の細長く奥行きのある形状がその名残を感じさせます。

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1936年(昭和11年)・1955年(昭和30年)の二度の埋め立てを経て、現在は全て埋め立てられており、江東区と墨田区の境界線の一部にもなっています。園内には滑り台や砂場などもあり、民族的でユニークなデザインのブランコもあります。

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「五間堀公園」を抜けると、通りの先のビルの狭間に「大久保稲荷神社(おおくぼいなりじんじゃ)」が見えます。

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「大久保稲荷神社」は、大久保豊後守(おおくぼぶんごのかみ)の中屋敷に鎮座していた屋敷神。創建年は不明ですが、1850年頃にはすでに存在していたと推測されます。

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鳥居をくぐると、閑静な境内のなかに小さな社殿が佇んでいます。屋敷の主であった大久保忠恕(おおくぼたださと)は、五千石(ごく)を知行した旗本。五百石以下の旗本たちが9割を占める江戸の武家社会の中で、大久保氏は極めて優秀な旗本であり、その屋敷の規模も大きかったのではないでしょうか。

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大久保氏は豊後守ののちに主膳正(しゅぜんのかみ)、長崎奉行(ながさきぶぎょう)、京都町奉行(きょうとまちぶぎょう)に就任、1867年(慶応3年)には、大目付(おおめつけ)と陸軍奉行並(りくぐんぶぎょうなみ)を兼任するなど、めきめきと頭角を現します。「大久保稲荷神社」のご祭神は、穀物の神様である「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」。彼の華々しい活躍にあやかり自身の未来をそっと祈願します。

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1868年(慶応5年)の鳥羽伏見の戦いでは、大阪警備の責任者となったほどその実力を評価されていた大久保氏ですが、新撰組の局長・近藤勇(こんどういさみ)とともに主戦論を唱えた人物であったことから、反逆を恐れた幕府により罷免(ひめん)させられます。

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“水の都”と言われるほど川や運河が張り巡らされた深川は、火事が少なかったことから数多くの武家屋敷が存在していたエリアでもあります。激動の幕末期を生き抜いた武将たちに思いを馳せ、五間堀跡のその先へ歩みを進めます。

大久保稲荷神社
住所〒135-0004 江東区森下2丁目31
駅・アクセス東京メトロ大江戸線・都営新宿線 森下駅 徒歩3分


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