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錦糸町》柳島村(やなぎしまむら)の守り神「千種稲荷神社(ちぐさいなりじんじゃ)」に伝わる火除けの言い伝え。1945年(昭和20年)、町民は境内に避難し戦火を免れました。

2017/04/19  

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総武線 錦糸町駅 北口を出て亀戸方面へ歩くと、左手に「千種稲荷神社(ちぐさいなりじんじゃ)」が見えます。ご由緒によると、本所に武家屋敷が軒を連ねていた頃より祀られており、当時は柳島村(やなぎしまむら)の守り神とされていたそうです。

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柳島村はかつて墨田区の東南部に存在した地名で、萩(はぎ)の名所として名高い「龍眼寺(りゅうがんじ)」、“柳島の妙見(みょうけん)さま” と慕われる「法性寺」などがよく知られています。明治時代に移ると武家屋敷は解体されていきますが、稲荷社は郷土の守護神として保護されました。

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しかし、明治時代の中期頃に糧秣廠(りょうまつしょう)の本所倉庫が建設されると、敷地内にあった稲荷社はとうとう取り払われてしまいます。すると、同時期から倉庫やその周辺で火災が起こるようになり、陸軍省を悩ませました。

そこで、稲荷社をもともとあった場所に再建したところ、不思議なことに火災はぴたりと止み、本所界隈が大きな被害を受けた関東大震災の時にも、稲荷社は少しの被害も受けなかったそうです。

火除けにまつわる千種稲荷神社の言い伝えは、もうひとつあります。

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1928年(昭和3年)の夏、再び火災が起こるようになりました。町民たちが不安を募らせる中、この地を訪れた行者が「昔より祀られていた守護神が、どこかに放置されたままになっている。」と話したといいます。この言葉を受け、町内の有志により稲荷社を旧位置に祀ったところ、またも火災は止んだというのです。

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それからは災厄消除、商売繁盛などの願いも成就すると、多くの人が参拝するようになりました。1945年(昭和20年)の東京大空襲の時にも稲荷社は被害を受けなかったため、町民は境内に避難し戦火を免れたと伝えられています。

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戦後は稲荷社の整備計画によって、荒廃した参道や鳥居、水屋、石燈籠、本殿などの増改築工事が行われました。整備計画の後、1955年(昭和30年)からは千種講が保存・管理を行っています。

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手水舎にはちょっと珍しい “飛び狐” が4体置かれています。このように足を伸ばした狐像は、東京都内では墨田区の飛木稲荷神社(とびきいなりじんじゃ)、千代田区の太田姫稲荷神社(おおたひめいなりじんじゃ)などでも見られます。4体のうち2体は崩れてしまっていますが、巻物と稲穂を咥えた2体は今もきれいに残っています。

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江戸時代から現代まで、人々の生活は変わっていきましたが、いつの時代も千種稲荷神社を大切にすれば災害はなくなると信じられてきました。小さいながらもよく整備された境内は、地域の人々に深く信仰されている証でしょう。また、隣接する錦糸公園ではスカイツリーの眺望や桜、初秋にはお祭りも楽しめるので、参拝の折りにふらっと散策してみるのも良いかもしれません。

千種稲荷神社
住所〒130-0013 東京都墨田区錦糸4-15-1 錦糸公園内
駅・アクセスJR総武線・東京メトロ 錦糸町駅 徒歩3分


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