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着物

東京で着物買取をお願いするならどこがいい?【東京都の着物買取店】

※本ページの詳細は以下のサイトに移転しました。
今後、着物に関する情報を見る際は以下よりお願いします。

【東京の着物買取】東京都で着物を高く売るならどこがいいの?

東京都の着物買取店を紹介します。

着物の需要は減少傾向にあるものの、着物を売りたいという方は逆に近年増加傾向にあります。

ただ、普段から着物を売ったり買ったりしているという方は稀で、どちらかというとたまたま家のタンスから着物が出てきたから売りたいといったケースや遺品整理等で困ったケースで着物を売りたいとお考えになるケースが多いと感じています。

東京にはリサイクルショップや質屋、呉服店の数も多いのですが、選択肢が多い故に悩むことも多いでしょう。

東京都の着物買取店について見ていきたいと思います。

東京で着物買取するなら

東京で着物買取を行うのであれば、バイセルか福ちゃんが良いかと思います。

理由としては、双方共通なものとして、
①買取金額が高い
②出張買取サービスなので便利
③クーリングオフ可能

基本的に着物を売る際に一番気にする事項は、買取金額が高いのか安いのかということにつきるかと思います。

そのため、この事項は重要でしょう。

そうした目線で行くと、上記2社については買取金額トップクラスであり、非常におすすめです。

またご存じの通り、最近は出張買取サービスが便利で人気となっています。

ご自宅に査定員の方がいらっしゃってその場で査定して金額を出してくれます。

あなたは家にいるだけでいいので、便利でらくちんです。

なお、最近はコロナウイルスの影響もあるのか、自宅に人を嫌がる方も少し増えております。

そのようなケースにおいては、どちらかというと福ちゃんが良いです。

まず、両社とも宅配買取には対応しておりますが、福ちゃんの方が着物専用の宅配キットが用意されていて送るのが楽です。

買取金額自体はどちらも高いので、気に入った方をご利用いただければ良いのかなと思います。

持ち込み買取はだめなのか?

持ち込み買取も依然として人気が高い手法となっています。

買取金額は少し落ちる傾向にありますが、やはりイメージ的に質屋やお店に持ち込むと思っている方も多く、このやり方が良いという方も多いです。

結論から行くと、持ち込みでも良いと思います。

結局、何を一番重視するかというのはその人次第かと思いますので、持ち込みがよければそれも良いです。

持ち込みの場合、避けた方がよいところとして、古着屋やリサイクルショップは辞めた方が良いでしょう。
ほぼ0円に近い金額か単なる処分として扱われる可能性が高いです。

そのため、かならず着物の買取に詳しい査定員がいるところに持ち込むようにしましょう。

なお、呉服店などでも買取に応じてくれるところはありますが、それほど金額は期待できません。

上記で記載した、ふくちゃんやバイセルは、都心であれば持ち込みも可能で、東京都内には店舗もあるため予約していってみるのも良いかと思います。

その他ですと、地域によりお店が異なりますので、気になる方は別途ご紹介の機会を設けたいと思います。

古い着物、汚れた着物も大丈夫?

古い着物や汚れた着物も買取してもらえるのか心配な方はいらっしゃるかと思います。

基本的に買取不可と言うケースが多いです。
ただ、福ちゃんは汚れた着物も買取査定してくれて金額も付くので良いでしょう。

参考:着物買取情報サイトのトラベルスイング

着物の買取(東京)のまとめ

東京都内での着物買取について記載しました。

基本的に全国どこでも、おすすめの買取店は変わりなく、ここで記載した出張買取となります。

ぜひご利用してみてください。

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寺社仏閣

浅草》1000年以上の歴史『今戸神社(いまどじんじゃ)』はあっちこっちに、ねこ、ネコ、猫…??!。素敵なご縁の拠り所。

東京メトロ浅草駅から隅田川沿いに江戸通りを歩き、台東リバーサイドスポーツセンターを目指します。スポーツセンターの前にある三叉路の真ん中の道を行けば、今戸神社の鳥居(とりい)が見えてきます。

今戸神社は1063年(康平6年)に源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)親子が、京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)から神様を分けてもらい創建されました。

ご祭神は「伊邪那美命(いざなぎのみこと)」と「伊邪那岐命(いざなみのみこと)」。国を生み、さらに数々の神様をも生んだご夫婦です。
また日本最古の天皇と言われている應神天皇(おうじんてんのう)もご祭神の一人。

浅草名所七福神(あさくさなどころしちふくじん)の一人「福禄寿(ふくろくじゅ)」も祀られています。年齢が数千歳という仙人のようなおじいちゃんの神様で、「福=幸福」「禄=生活・経済の安定」「寿=健康にして長命」という3つの福徳を授けてくれます。

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神様ばかりではなく、「猫」も超有名な神社です。幸せを運んでくれる「招き猫」のルーツもここ、今戸神社にあるという説も。

こんな重鎮たちが見守ってくれている神社です。

鳥居をくぐって一番に目を引くのは、大量に結ばれた絵馬、絵馬、絵馬…
身体を清める場所であるはずの手水舎(ちょうずや)にまで、視界いっぱいの絵馬が結ばれています。これだけたくさんのお願いを叶えるなんて、神様も大変です。

珍しいまんまる絵馬。「角が立たないように」という意味を込めてこの形なんだそうです。絵柄ももちろんペアになった招き猫。

少し奥まったところに本殿があります。

大きな招き猫とご対面。

右手を挙げている猫はオスで金運や幸運を招き、左手を挙げている猫はメスで人(お客様)を招くとされています。

耳よりも高く手を挙げている…つまりより遠くの福や人を招いてくれるそう。よりよい縁を結んでくれそうですね♪

そして見てください。中央に「福禄寿」のおじいちゃんもしっかりと鎮座していらっしゃいます。とっても穏やかなお顔をしています。

平日でもちらほらと参拝に来ている人がいます。女性が多めですがもちろん男性もいます。私ももちろん気合いを入れてお参りしました。

本殿脇には、「石なで猫」のナギちゃんとナミちゃんです。なでなでした後にこの猫たちの写メを携帯の待ち受けにし、毎日お祈りすると願いが叶うそうです。

社務所(しゃむしょ)に続く道にも猫がいます。しかもこんなにたくさん!可愛さについつい足が止まります。

広々とした敷地の中で、みっしりと猫が密集した不思議な幸せ空間となっています…(ฅ`ω´ฅ)♡

ここで招き猫のルーツになった逸話の一つをご紹介。

江戸時代。
この界隈に住んでいたおばあちゃんが、貧しさから泣く泣く一緒に暮らしていた猫ちゃんを手放したところ、その日の夜夢枕にその猫ちゃんが。

(●ↀωↀ●){オレの姿を人形にしたら運気アップ☆だにゃー〕

おばあちゃんは地元の土を使い、早速猫ちゃんの今戸焼き人形を作成。あまりにも可愛かったためか、それを浅草神社で売ったところ爆発的ヒット!その後は幸せに暮らしましたとさ。
きっと猫ちゃんも帰って来て、また一緒に暮らせたのでしょう。めでたしめでたし♪

ここから、猫の像を作って祀ればいいことが♪と評判になったそうです。

お守りや置物も、もちろん猫!
スタッフが授与してもらった置物たちは、どんな幸福を運んでくれるのでしょう。

猫推しの今戸神社ですが、まだまだ話題は尽きません。

本殿脇、社務所とは逆方向に「今戸焼き発祥の地」と「沖田総司(おきたそうじ) 終焉の地」の碑があります。
実は日本の幕末を語るのになくてはならない存在である新撰組幹部の一人、沖田総司までもこの地に縁(ゆかり)がありました。

病(やまい)を煩っていた(わずらっていた)彼を看ていたのが、この地に住んでいた松本良順(まつもとりょうじゅん)医師。必死の治療の甲斐なく、沖田総司は労咳(ろうがい)で亡くなりました…

私たちの縁を結び、幸福を招いてくれる「今戸神社」。もちろん狛犬もいるのですが、ここでは「猫」が圧倒的存在感をほこります。

可愛らしい招き猫に心もほぐれ、
ついつい笑顔に。
そんな穏やかな笑顔が
人と人との出会いをつなぎ、
思わぬところから
素敵なご縁につながるのかも…♡

今戸神社
住所 〒111-0024 東京都台東区 今戸1-5−22
駅・アクセス 東京メトロ浅草線・銀座線 浅草駅
営業時間 社務所受付時間:9時〜17時

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交通

上野》地下鉄の踏切は、線路側にも遮断機が!?「銀座線 上野検車区(ぎんざせん うえのけんしゃく)」にある日本唯一の踏切。

東京メトロ銀座線 上野駅9番出入り口を出て、目の前の「昭和通り」を渡ります。そのまま日暮里方面に5分ほど進み、2つ目の信号を右に曲がります。

目の前には、水色のゲートのような構造物が。そして、よく見ると見慣れた遮断機・警報機も目に入り、踏切のように見えます。

ここは東京メトロの「上野検車区(うえのけんしゃく)」、東京地下鉄 銀座線(とうきょうちかてつ ぎんざせん)の車両基地です。

鉄道車両の施設で、車両を収容する「車庫」と、車両の入替や列車の組成をおこなう「操作場」、そして検査や修理をおこなう機能を持っています。

1927年(昭和2年)12月、銀座線の開業にあわせて、東京メトロの前身「東京地下鉄道(とうきょうちかてつどう)」により、『上野電車庫(うえのでんしゃこ)』として建てられました。

上野の一等地とも言えるこの場所は、関東大震災後の首都復興事業の一環として用地を取得したとのこと。当初は、一時的な仮施設として使用し、さらに延伸したときに別の場所に新しい施設を建設する計画だったそうです。

いまでは、上野駅は銀座線の途中駅ですが、当時は浅草-上野間の運行だったので、この場所に車庫が建てられたのも納得です。

左の車両は、旧型の01系。右の車両は、新型の1000系で、開業時の初代車両をモチーフにしたレトロ調の車両です。

その後、渋谷まで延伸され、第二次世界大戦以降は乗客数が年々増加したため、輸送量を上げる目的で、1963年(昭和38年)5月、大規模な改築をおこないました。

およそ5年をかけて、既存の設備を全て廃止し、地下に6両編成13本、地上には6両編成7本が留置可能な2層構造の施設に生まれ変わりました。

そして、この検車区の大きな特徴は、「日本で唯一、地下鉄が通る地上の踏切」です。

最初は「地下鉄なのに、地上の踏切を通るの?」なんて思いましたが、実際に来てみて納得。オフィスビルなどが立ち並び、細かい道が張り巡らされているこの地域では、どうしても踏切が必要になるんですね。

※かつては、都営地下鉄 浅草線(とえいちかてつ あさくさせん)の「馬込車両検修場(まごめしゃりょうけんしゅうじょう)」にも踏切がありましたが、2004年(平成16年)に廃止されています。

また、「地下鉄が通る地上の踏切」というほかに、「軌道遮断式踏切(きどうしゃだんしきふみきり)」という特徴があります。これも日本の地下鉄ではここだけです。

「軌道遮断式」、つまり道路側の遮断機だけでなく、線路側には昇降型の遮断柵があるのです。なぜでしょうか? それは「あぶない」「危険」という警告に答えがあります。

銀座線は、ほかの鉄道のようにパンタグラフで架線から集電をするのではなく、第三軌条方式(だいさんきじょうほうしき)という「3本目のレール」から集電するため、線路内に立ち入ると非常に危険なのです。

第三軌条方式は、トンネル断面が小さいので、工事の期間・コストなどを抑えることができる利点がありますが、このように地上部においては、感電のリスクが生まれてしまいます。

なので、人はもちろん、猫や犬などが立ち入らないように、遮断柵で厳重に閉じているんですね。

もちろん、道路を横切る箇所には、3本目のレールはありません。
ここは慣性で通過するようになっています。

列車が近づいてくると、道路側の遮断機が降りて、線路側の遮断柵が昇っていきます。

そして、遮断柵が完全に昇りきったあと、銀座線01系が姿を現しました! 感動!!

ノスタルジーを感じる「踏切」と「雑居ビル」には、新型車両1000系という「作られたレトロ車両」ではなく、「使い込まれたアルミ合金の無塗装車両」が似合います。

検車区に向かうその姿に、思わず「おつかれさま」と声をかけたくなる一瞬です。

踏切を通過する間は、非常に低速で進みます。途中で一度、停車することがあったのですが、検車区側でなにか切替作業などがあるのでしょうか?

列車に興味がなく、ただ踏切を待つだけの人にとっては、少し長いと感じるかもしれません。しかし、普通の踏切とは違い頻繁に通過するものではないので、「おつかれさま」の心と、逆方向の場合は「いってらっしゃい」の心をもって見守ってあげましょう。

逆に言うと、踏切を通過している姿を撮ろうと思っても、なかなか出会うことができません。朝夕の通勤時間帯は、比較的多く見ることができるようですが、日中は数本程度しかチャンスがありません。そこで、踏切を通過する時間を知るには、どうすればいいでしょうか?

この検車区への分岐は、上野駅と稲荷町駅の間にあるので、稀にある「上野行き」もしくは「上野発」の列車が、検車区に関係してそうです。

「上野行き」の場合は、1つ前の上野広小路駅「浅草方面の時刻表」を見ることで、詳細な時間を確認することができます。今回の取材は、「10:11」の通過でしたが、時刻表では「10:10」に上野行きがありました。
※2015年10月時点の平日

必ずしも、この法則に当てはまるとも限りませんが、1つの目安にはなるかと思います。

写真の車両01系は、2016年度までにすべて新型の1000系に置き換わってしまいます。きっと、最後の日、01系がここに帰ってくるときは大勢の人に迎えらることでしょうね。

そのまえに、この車両が走る姿をじっくりと見られる上野検車区で、写真に収めてみてはいかがでしょうか? 普段見えない車輪などの動作部も見ることができますよ。

銀座線 上野検車区
住所 〒110-0015 東京都台東区東上野4丁目25-18
駅・アクセス 東京メトロ銀座線 上野駅 徒歩8分

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食べ物

東銀座》喫茶「アメリカン」の名物「タマゴサンド」。具に負けないおいしさのパンを半斤使用した、伝説のサンドイッチ。作業員たちの働く活力です。

東京メトロ日比谷線・浅草線 東銀座駅A3出口を出ます。歌舞伎稲荷神社の奥、木挽町(こびきちょう)通りに入りしばらく進むと左手に「アメリカン」が見えます。

木挽町通りは歌舞伎座の裏にある、銀座3丁目から8丁目まで続く通りです。こじんまりとした通りの中、鮮やかな緑の庇(ひさし)が際立ちます。

「アメリカン」は1983年(昭和58年)創業の喫茶店。場所柄、歌舞伎俳優や舞台女優達のファンも多く、数多くサインが飾られています。いまでは有名店のアメリカンですが、2010年歌舞伎座の閉場をきっかけに危機が訪れます。人通りが減り、周辺の飲食店は次々と閉店していき、毎日半額セールを行う日々が続きました。

しかし歌舞伎座の閉場から数ヶ月後、歌舞伎座工事の作業員たちが訪れるようになります。腹持ちのいいボリューミーなサンドイッチの人気は口コミで広まり、買いに来る人も多くなります。2013年4月に歌舞伎座は新装オープン。木挽町通りには人通りが戻り、無事危機を乗り越えることができました。

テイクアウトは9時から。パックいっぱいにサンドイッチがつまっています。ランチタイムは近隣で働く人々でにぎわうそう。パンの耳も一緒に入れてくださいます。

モーニングは400円のドリンクに、サラダ、トーストをそれぞれ100円で追加することができます。作業員達に人気のボリューム満点のサンドイッチはいったいどんなものなのでしょう。ドキドキしながら店内へ。

テーブル席が28席。ほの暗い照明が心地よく、ゆったりとした時間が流れています。

店主は佐賀県出身。天井、壁一面には佐賀県のあらゆるポスターが。佐賀のアンテナショップは東京にないため、特産品おすすめの店としての役割も果たしているそう。

お孫さんと撮った写真や、お孫さんからの手紙、店主のイラストなども飾られています。気さくで明るい店主が愛されている様子が伺えます。

注文からほどなくして、なみなみに注がれたコーヒー、分厚いトースト、てんこもりのサラダが運ばれてきます。全てがアメリカンサイズです。コーヒーカップは佐賀県の有田焼き(ありたやき)を使用しており、ひとつひとつ柄が違います。

トーストは2枚。ジャム、バターが付いています。

外はこんがり、中はふわっとしたトースト。カリっとした歯ごたえが楽しい。1枚目はバターとともに頂きます。トーストとバターというシンプルな組み合わせですが、喫茶店で朝ごはんをゆっくり味わう時間はなんだか贅沢。それだけでいい1日を過ごせるような気がします。

2枚目はサラダと一緒に。タマゴ、シーチキンとりんご、シンプルなポテトサラダの3種類のサラダは、マヨネーズたっぷりでクリーミー。そのまま食べてもトーストに乗せても楽しめます。食べきれなかった分は持ち帰ることもできるので、女性でも安心ですね。

店内のテーブルには、ボウル2つ分に乗った卵が。「アメリカン」といえば、「タマゴサンド」。テイクアウトで「タマゴポテト」「ハンバーグポテト」を購入しました。

「アメリカン」では、食パン半斤を横に切って使用しています。5㎝ほどある分厚いパンに、多めのマヨネーズと粗くつぶしたタマゴがたっぷりと。ポテトサンドはジャガイモとにんじんが入った甘めの風味です。大口を開けてがぶりと豪快に頂きます。

ハンバーグサンドは、コショウ入りの粗挽きのハンバーグに、サウザンドレッシングのような酸味とコクのバランスがとれたソース。

具に負けないくらい美味しいパンは、「新橋ベーカリー」のもの。しっとり、もっちりしたパンの秘密は、焼きたてをすぐ袋詰めしたものを仕入れているため。

「こんな不景気の時代だからこそ、安くて美味しいものをお腹いっぱい食べて欲しい。」という思いから、ボリューミーなサンドイッチを作り続ける「アメリカン」。

サンドイッチと正面から向き合うことを教えてくれる、
伝説のサンドイッチに出会えました。

アメリカン
住所 〒104-0061 東京都中央区 銀座4丁目11−7
駅・アクセス 東京メトロ日比谷線・浅草線 東銀座駅 徒歩3分
営業時間 8:00〜18:30
定休日 土曜日、日曜日、祝日

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食べ物

小川町》「江戸三大すし」の一つ『笹巻けぬきすし(ささまき けぬきすし)』。毛抜で魚の小骨を抜く様を見て『面白きことよ』に始まり300年超。

都営新宿線 小川町駅のB5出入口を出たら、出入口とは反対の方向に向かいます。直近の「靖国通り(やすくにどおり)」と「本郷通り」が交差する「小川町交差点」を左に折れ、御茶ノ水方面へ数十メートル歩くと、そこに「笹巻けぬきすし総本店」があります。

「笹巻けぬきすし」は “ ささまき けぬきすし ” と読みます。

創業は江戸時代中期、赤穂浪士(あこうろうし)の討ち入りがあった年でもある1702年(元禄15年)で、越後の新発田(しばた)出身の松崎喜右衛門(まつざききえもん)初代が「竈河岸(へっついがし:現在の人形町)」に店を構えたのが始まりです。

のちに親戚筋や古い番頭さんなどへの暖簾分け(のれんわけ)で店を広げたそうですが、そのうち残ったのはここだけ。神田の昌平橋のそばにあった店(当時の店名は宇田川)が関東大震災後、小川町に場所を移して今に残っています。

江戸で花開き名物として謳われた寿司として、竈河岸の毛抜鮓(けぬきすし)、両国の与兵衛寿司(よへえすし)、安宅(あたけ)の松が鮨(まつがすし)の三つは「江戸三鮨(えどさんすし)」と称されていますが、このうち現存するのも、ここ「笹巻けぬきすし」の毛抜鮓だけです。貴重な文化財とも言えます。

震災で焼ける前にあった絵草紙(えぞうし)を、先代が思い起こし、絵師に描いてもらった画には由緒が描かれています。

鮨を笹で包んでいるのは、古くは兵糧(ひょうろう)を包むのに、殺菌作用がある笹が使われていたという伝えに初代が習ったものです。この鮨のネタの一つに「鯛(小鯛)」がありますが、鯛の小骨だけは酢でしめても柔らかくならないので毛抜きで抜いていたそうです。その様子を旗本など来店した諸侯(しょこう)が面白く思ったことが広まり「けぬきずし」となったということです。現在も小骨を毛抜きで抜いています。

お店には12代目が記した笹巻けぬきすしの由来があります。「…旗本や松平候等幾多の諸侯御来店の折、毛抜にて魚の小骨を抜き鮨を作るを見て『面白きことよ』と興ぜられ、笹巻鮨を毛抜鮨とも呼び益々世に広まりたり…」

江戸の鮨は、今とは違い長く保たせるために塩気も酸味もきついものだったそうです。それを更に笹で包むということですから、元来この「笹巻けぬきすし」は折り詰めで持ち帰って食べるのが正しい鮨といえるでしょう。折り詰めの鮨は翌日まで保ちます。3時間ほど置いてからの頃合いの方が美味しいそうです。そういう訳でお店は基本「お持ち帰り」が専門です。

持ち帰る折り詰め12ヶもお願いしましたが、お店のショーケースの横では、その日のランチセットや笹巻けぬきすしが、その場でいただくことが出来るので、食べていくことにします。お店の外に書いてあったランチセットと笹間巻きけぬきすし7ヶを注文します。

「けぬきすしは、すっぱいですけど大丈夫ですか?」と女将が声をかけてくださいました。300年以上引き継がれた、その「酸味の利いたおすし」を求めてきたので、でもちろん「大丈夫です。お願いします。」とこたえます。気遣いあるお声がけは心地よいものでした。
※今は、戦前にくらべて随分と酸味をおさえているそうです。

この日のランチセット 税込1,050円。
穴子とマグロの二色丼、けぬきすし(玉子、のり巻き)、小鉢(夏野菜の天ぷら)、漬けもの、お吸いもの。

少なめのご飯に、マグロと穴子はたっぷりな量。マグロは赤身と漬けの二色。穴子はふっくらと煮あげられ、甘い煮詰め(タレ)がかかっています。

やわっと、ほろっと。

おくら、豆腐、おふ、結んだ竹輪が入ったお吸い物。お出汁は、簡単に使いたくない言葉ですが“ 身体に染みる ”上質な美味しさです。

メインが海鮮なので、2ヶの笹巻けぬきすしは、玉子とかんぴょうののり巻き。他では口に出来ない個性的な、玉子とかんぴょうです。

この値段にして、華やかで品も宜しく、満足感のある美味しいランチセットでした。スタッフも笑顔になります。

笹巻けぬきすし7ヶ 税込1,804円。
7色のすしダネは、鯛、光り物(コハダ)、おぼろ、玉子、海老、かんぴょう巻き2ヶ。この熊笹は裏がツルツルの種類だけを選んで、一枚一枚丁寧に洗ったものです。焼いた小鯛のカシラが入った潮汁(うしおじる)、緑茶。この日はランチに付いている小鉢もサービスしていただきました。

笹をとっていただきます。鯛の白、海老の赤、おぼろと玉子の黄色、コハダの青と銀、のり巻きの黒と華やかです。どのタネも一つ一つ丁寧な仕込みがされていることがわかります。そして、シャリが美味しいこと。現在のシャリとは違い、砂糖の甘さはなく、強めの酸味にちょうど良い塩気です。

米は固めすぎずない絶妙の加減です。手に持っても軽めで、食感は重すぎず、軽すぎず。押し寿司のようなものを想像していましたが、まったく違います。タネもシャリも余計なものを削ぎ落とし品格さえ感じるバランスで仕上がってます。

焼いた小鯛のカシラが入った潮汁は、「付いてます。」というレベルではなく、とても上品で美味しい碗になってます。一口すすれば、香ばしさもかすかに感じるお出汁に、思わず「あぁー…」と声が出てしまいます。7ヶのすしと潮汁だけの組み合わせですから、すしの相方として自信を持って出されていることがわかります。いや、ほんっとに美味しい。

丁寧に作られた笹巻けぬきすしと潮汁を、お店で味わうランチもいいものです。お会計を済ませ、お願いしていた折り詰め12ヶを持ち帰ることにします。

折り詰め(12ヶ)2,765円(税込)
外の包装には、江戸時代から続く笹と当たり矢の商標。粋なデザインです。「当たり矢」は矢が的中した状態で、物事が巧くいく、人気が出るなどの意味があります。

中の箱の包みにも「当たり矢」。商売繁盛や様々な願いを成就する縁起物です。その中身も手間ひまかけた逸品「笹巻けぬきすし」が、結婚式の引き出物にも利用されるのも納得できます。

一)鯛(小鯛)
魚は三枚におろし塩漬けし1日、出た汁をすてます。その後、酸度の高い一番酢に漬けて1日しめます。次に骨を抜き、酸度の弱い二番酢に3~4日漬けます。酸味の利いた独特の風味のタネは、こうして手間をかけて作られます。

二)コハダ
現在の江戸前握り寿司でもお馴染みです。強めの酢でしめられた光り物は美味ですが、何日もかけて仕込みされたこのコハダの風味は、酸味が強いというだけでなく深みがあります。

三)海老
海老は生きた小さい車海老(サイマキ)を使い、砂糖を少し加えた甘酢につけて使います。車海老の風味や食感を活かす仕込みです。

四)おぼろ
甘くいった魚のそぼろです。このタネだけは甘いです。良く考えられています。好みのタネから食べるのですが、酸味が続く途中のこの「おぼろ」の甘さがまた良いアクセントになるのです。

五)玉子
この玉子も個性的です。甘くはないです。軽く醤油で味付けされた薄焼きの玉子でシャリをくるっと包んであります。おぼろがあるので甘くなくて良いです。

六)かんぴょう
他では食べることができない「かんぴょう」です。一般的に知られる甘からく濃いめの味付けのものも美味しいですが、醤油で煮られ、しっかりと食感を残した甘くない「かんぴょう巻き」も味わい深い逸品です。

七)あわび
基本の7色のうち、光り物と白身魚は、その季節によって旬の素材に変わります。この折り詰めでは、あわびです。さわら、あじ、さより、青だい、わらさ、かんぱち、白魚、貝柱など、必ず旬の素材を加えて7色のタネを折り詰めにしてもらう。笹巻きから何が出てくるのか、ちょっと楽しみです。

「毛ぬきすしかんだ祭りにきてさかす」
水原秋櫻子(みずはら しゅうおうし)

1892年(明治25年)神田神田猿楽町の産婦人科の息子として生まれた俳人・水原秋櫻子が詠んだ句からは、神田祭と毛ぬきすしへの愛情をみることができます。

唯一残った、江戸三大すしの一つ「笹巻けぬきすし」。
今、13代がこの味を守っています。
江戸時代の素朴にして洗練された「粋」なすし。
暑中でも保冷無しでお家へぶらさげて。
上等な折り詰めのお土産を見つけました。

笹巻けぬきすし総本店
住所 東京都千代田区 神田小川町2-12宇田川ビル1F
駅・アクセス 都営新宿線 小川町駅 徒歩2分
営業時間 月~金 9:00~18:30
土 9:00~17:00
ランチ営業
定休日 日曜・祝日

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寺社仏閣

秋葉原》神社が7つ?!いろんな神様がぎゅっと詰まっている『柳森神社(やなぎもりじんじゃ)』を参拝してきました!

JR、東京メトロ、TXの秋葉原駅 昭和通り口側から「昭和通り」に出ます。南に向い、神田川に架かる和泉橋を渡ってすぐの通りを右に曲がります。この辺りから小川町、淡路町あたりまでを神田須田町といいます。しばらく歩くと柳森神社(やなぎもりじんじゃ)が現れます。

この神社は1457年(長禄2年)室町時代、武将であった太田道灌(おおたどうかん)が自ら築城した江戸城の鬼門除けとして、京都の伏見稲荷大明神を勧請し、この地にたくさんの柳の木を植えたことから『柳森神社』という名前になりました。

江戸時代には多くの人で賑わっていたそうです。鳥居をくぐるとすぐに階段があり、降りると右手に手水舎(ちょうずや)があります。

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また大正末期から昭和初期に作られたという富士講の石碑が残されています。

そしてその前には、猫。
人に慣れているようすの猫が、この神社にはちらほらいます。

この柳森神社には、7つの神社(祠)が合祀されています。

本殿です。対のお狐様がいらっしゃいます。五穀豊穣、商売繁盛などのご利益があることで有名です。これは昔、豊かな実りを迎えた田園の稲穂に、山からおりてきたキツネ親子の体毛の色がとけ込み、繁殖=豊作のイメージとして結びついたことからきているようです。

向かって右のお狐様は「玉(ぎょく)(宝珠(ほうじゅ))」を持っています。玉は霊の力を象徴しています。

左のお狐様は「子キツネ」を抱えており、「子宝」を象徴しているようです。

屋根の両端で交差し高く突き出した部分を「千木(ちぎ)」といいます。日本の古代の住居の建築様式からきたとされ、大切な構造材だったそう。現在では神社建築を象徴する一つの要素になっています。一般的に、先端が垂直に切られている場合は男神、水平に切られている場合は女神を祀っていることを示していると言われています。つまりここは女神を祀っているんですね。

「幸神社(さいのかみのやしろ)」。
本殿の隣にひっそり、小さな祠がありました。1382年頃に創建され、もともとは芝増上寺大門(しばぞうじょうじだいもん)の付近にありました。昭和20年(1945年)太平洋戦争が一段と激しくなった頃にここで御神璽(ごしんじ)を預かることになったとのことです。

「おたぬきさん 福寿神」。
この神社の中で、最も有名な神社「福寿神」。江戸幕府五代将軍徳川綱吉の時代、ご生母であった桂昌院(けいしょういん)により江戸城内に福寿いなりと称して創建されました。桂昌院は八百屋の娘でしたが、春日局に見込まれ三代将軍家光の側室になったそうです。

他を抜いて(たぬき)玉の輿にのった桂昌院の幸運にあやかりたいと、こぞってお狸様を崇拝したと言われています。福寿神をかたどった像を懐中に忍ばせていた女中も多かったそう。そして明治維新後にここ柳森神社に移されました。

また「玉の輿」という言葉も、この桂昌院(元の名前が「お玉」といったそう)が大出世したことが語源だとか。

他抜きという語呂合わせから立身出世、開運、勝負運のご利益があるそうです。また、懐妊の狸像が本尊だそうで、安産のご利益もあるのでは、という説も。ユニークな表情のお狸様がたくさんいらっしゃいます!

「金刀比羅(ことひら)神社」。
香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)を総本宮とし、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る神社です。江戸時代に船による流通が盛んになり、海運業者や商人によって金毘羅信仰(こんぴらしんこう)が盛んに。

分社が全国に作られました。現在、金刀比羅神社・琴平神社は日本全国に約600社あるそうです。

「水神厳島大明神 江島大明神(すいじんいつくしまだいみょうじん えのしまだいみょうじん)」。
水の神様・龍です。すごく彫りが細かい!小さいながらも鱗やひげまで丁寧に作られているのが分かります。当時は神田川の対岸にありましたが、築堤の際に現在地に奉還されたそうです。どちらにせよ、神田川と密接に関係がありそうですね。この龍が『江島神社の五つの頭を持つ龍の伝説』によるものかどうかは分かっていないそうです。

※『江島神社の五つの頭を持つ龍の伝説』とは
昔、鎌倉にいた五つの頭を持つ龍が悪行を重ねていたそう。その龍が天から舞い降りた弁財天に一目惚れ、恋心を抱く龍を諭し悪行をやめさせた。この龍は山に姿を変え、現在の藤沢市龍口山になったとか。

「秋葉大神(あきばのおおかみ)」。
静岡県にある秋葉山(あきはさん)の神社が起源となっており、祭神は迦具土神(かぐつちのかみ)です。防火の神様として古くから信仰されているそうです。

「明徳稲荷神社」。
明徳稲荷神社は現在東京都中央区にあり、祭神は宇気母智神(うけもちのかみ)です。創建年代や、また柳森神社内のこちらの明徳稲荷神社との関係性などは不詳だそうです。

祠の他、「力石」もあります。

「力石」とは、当時若者たちが力試しに用いた石のこと。この境内にあるものは、大正時代、当時有名だった力士の一派が使っていたとされています。名前のような字が掘られ、赤く色づけされていました。

そして、御朱印(ごしゅいん)はセルフです。朱印料100円をお賽銭箱に入れてから押します。

ちなみに御朱印とは、お寺や神社でいただくことのできるご本尊様や神様の分身とされているとてもありがたいものです。

こんな感じです。

大都会の片隅に、木々が鬱蒼と生い茂った神社「柳森神社」がありました。しかもたくさんの神社が合祀されており、後から調べてみると思っていた以上に深い世界が広がっていました。興味深いのは、一つの神社にお狐様・お狸様・狛犬・龍・そしてネコと、たくさんの生き物がいたことです。

お世辞にも広いとは言えない、むしろ狭い境内の中でいろんな神様がぎゅっと詰まっている不思議な感じ。こんな神社、日本全国探してもなかなかないのでは?

柳森神社
住所 〒101-0041 東京都千代田区神田須田町2-25-1
駅・アクセス JR山手線・京浜東北線・総武線・東京メトロ日比谷線 秋葉原駅
営業時間 7時-18時
定休日 無休

カテゴリー
食べ物

秋葉原》『やっちゃやっちゃ』が聞こえてきそう。昔ながらの大衆食堂「かんだ食堂」で腹ごしらえ。

JR秋葉原駅 電気街口を出て右に直進します。秋葉原UDXの手前を左折し、建物に沿うように歩きます。歩くこと約1分で「かんだ食堂」が見えます。

レモン色の庇(ひさし)に「アキバの老舗 かんだ食堂」と書かれています。「だ」の文字はおそば屋さんやお寿司屋さんの暖簾(のれん)で目にする「変体仮名(へんたいがな)」ですね。平仮名はもともと一音に対していくつかの「字体」があったのですが、1900年(明治33年)の「小学校例施行規則」以降、教育で使用されなくなった仮名があります。これらの総称が「変体仮名」。定食屋さんで使われているのはちょっと珍しい。アルミの引き戸や紅白の提灯(ちょうちん)が昭和レトロな装いです。

かんだ食堂の創業は1958年(昭和33年)。この一帯が青果市場として賑わっていたころから食堂を営んでいます。江戸時代、各地の商人をこの地域に呼び集めて繁栄したという神田市場。明治・大正・昭和と東京の食文化を支えた巨大市場の一角で、かんだ食堂は市場で働く人々のためにできたそうです。

神田区多町、江戸末期。人々が道ばたで商売をしています。当時は『やっちゃやっちゃ』と威勢のいいかけ声が競り市場のあちらこちらから聞こえたそうで、「やっちゃ場」とも呼ばれました。1923年(大正12年)多町の市場は関東大震災により消失、外神田(秋葉原UDXの辺り)に移転しました。その後も東京の台所として繁栄を続けましたが、1990年(平成2年)大田区に役目を託し、神田市場の歴史は幕を下ろしました。
※「写真の中の明治・大正」

かんだ食堂のメニュー。とんかつ定食や焼き魚定食などの王道メニューはもちろん、ニラレバー定食やナスみそ定食なども取り揃えています。その日の気分によって、食べたいものをチョイスできるのは嬉しい。

納豆や目玉焼きももちろんありますよ。焼き魚定食+煮物、カレーライス+目玉焼き、まぐろぶつ切定食+とろろ…組み合わせ方は人それぞれ。そういえば、厚焼玉子って定番おかずなのに、定食屋では意外と見ないですね。

店内は昔ながらの大衆食堂。左手にカウンター8席、右手にテーブル24席。こじんまりした店内ですが人手が多く活気があります。私たちが訪れたのは12時前。昼の繁盛に備え、厨房越しのカウンターには料理がズラっとならびます。見たところ、客層はサラリーマンが中心。

スタッフ2人で、人気メニューの「豚生姜焼定食」と「ウインナー炒定食」を注文。注文からわずか2分ほどで料理がでてきました。注文したら美味しいご飯がサッとでてくる。今では普通ですが、昭和の時代はどうだったんだろう。このスピード感はドタバタした市場にはピッタリでしょうし、普段はファーストフードばかり、という現代人にとっても嬉しいポイント。

豚生姜焼定食。かんだ食堂の定食は “味とボリュウム” がコンセプトとのことで、お皿に盛られた豚肉は溢れんばかり。

お皿の底にタレがひたひたと溜まっているので、肉をくぐらせていただきます。

肉は厚く、しっかりとした噛みごたえ。味付けは奇をてらったものではなく、思い描く “生姜焼” そのもの。でも、こんな昔ながらの生姜焼って逆に珍しいのかも。

ウィンナーファンには「ウインナー炒定食」。ウィンナー8本ですよ。こんな贅沢、子供の頃には考えられなかったですね。

油でコーティングされたウィンナーがキラリ。見るからに香ばしい。

ウィンナーってたくさん種類がありますが、これはプレーンなタイプ。なじみ深い “庶民の味” だけどどこか違う。大衆食堂の空気感がウマさを後押しします。味付けは至ってシンプルに塩。ご飯にのせていただけばもちろん美味しい。

かんだ食堂は日が暮れると居酒屋に。仕事帰りに焼き魚とビールで一杯、シメに丼ものをがつがつ、なんてことができるのも大衆食堂ならでは。

平成2年。やっちゃ場は大田区へ移転し、かんだ食堂の周辺はガラっと変わりました。
それでも「腹が減っては戦はできぬ」は今も昔も変わらず。
ここ一番を前に、元気をチャージ。
そんな気分の日は活気あふれる「かんだ食堂」がおすすめです。

かんだ食堂
住所 東京都千代田区外神田4-4-9 前川ビル 1F
駅・アクセス JR秋葉原駅 徒歩6分
営業時間 月〜金
11:00~15:30
17:00~22:30

11:00~18:00
定休日 日曜日、祝日

カテゴリー
食べ物

東京》グリコの出来立てお菓子が食べられる「ぐりこ・や Kitchen」。生チョコのように繊細で滑らかな口当たりの「アーモンドチョコレート」は、2時間かけて作られています。

東京駅八重洲地下中央改札を出ると、東京駅一番街に入るとすぐにある「のぞみ広場」を通ると「東京おかしランド」に出ます。
「東京おかしランド」は、江崎グリコ、森永製菓、カルビーという日本を代表するお菓子メーカーのアンテナショップが一同に集結した、日本初のゾーン。
工場を模したキッチンで出来立てのお菓子を食べることができたり「東京おかしランド」限定の商品も豊富に揃っています。

江崎グリコの「ぐりこ・や Kitchen」は、全国に17店(2016年11月現在)展開しているアンテナショップ「ぐりこ・や」に、お菓子を作る設備(=Kitchen)を併設したお店。 2012年(平成24年)にオープンしました。現在は、ここ東京駅店と新大阪店の2店舗のみ。限定アイテムも揃っています。

グリコを代表するお菓子は沢山ありますが、中でも「ポッキー」は、1966年(昭和41年) に発売されて以来の不動の人気商品。
元々、当時すでに人気のあった「プリッツ」に、チョコレートをコーティングしたお菓子として考案された「ポッキー」。持ち手部分を作ることで、歩きながらでも手を汚さず食べれるとして、発売直後から爆発的人気となりました。

数多ある「ポッキー」のシリーズですが、「ぐりこ・や」で絶大な人気を誇るのが「ジャイアントドリームポッキー」です。

一箱で5種類の味のアソートが楽しめる「ジャイアントドリームポッキー」。定番のチョコレート、つぶつぶ苺に加え、抹茶、メロン、ぶどう味が入っている、まさに夢のようなポッキーです。
個別包装になっているので、お土産にもぴったり。

「ポッキー」と並ぶ看板商品の「プリッツ」は、1963年(昭和38年)誕生。ドイツ発祥の焼き菓子“プレッツェル”からヒントを得た「プリッツ」は、初期は「バター味」のみでしたが、現在では「ポッキー」同様、様々なフレーバーが存在します。「東京もんじゃ味」の「プリッツ」は、首都圏限定の味。

他にも「コロン」、「ビスコ」、「アーモンドグリコ」、「ビッテ」などの定番の人気商品はもちろんの事、「ぐりこ・や」限定の「グリコのキャラメルクリーム」と「アーモンドチョコレートクリーム」も。とろりとしたテクスチャーで、直接パンに塗ったり、料理に使ったりする事ができる新感覚のスイーツです。

キッチンを併設した、「ぐりこ・や Kitchen」ならではの「ローストアーモンド」。東京駅店限定商品です。専用ロースターで、カリッと香ばしくローストされた出来立てを食べる事ができます。味は、プレーン、塩、ペッパーの3種類。おやつやお茶うけにはもちろんの事、お酒のおつまみにも◎

さらに「ローストアーモンド」をチョコレートでコーティングした、ココア仕上げの「アーモンドチョコレート」も店内で作っています。

このように、2時間かけてアーモンドにチョコレート吹きかける為、1回の製造に約2時間半ほどかかるそう。1日2~4回ほどのサイクルで稼働してます。
ガラス越しに出来上がっていく様子を見るのは、とてもワクワク♪

出来立ての「アーモンドチョコレート」。軽やかな歯ごたえのローストアーモンドを、生チョコのように滑らかなチョコレートが包んでいます。そこに、ほろ苦いオランダ産のココアパウダーがかかっており、市販の「アーモンドチョコレート」とは趣が異なるとても上品な仕上がりです。

「カプリコルネ」、通称”生カプリコ”も「ぐりこ・や Kitchen」東京駅店限定。生チョコレートとホイップクリームをミックスした、ふわふわでとろける様な食感のワンハンドスイーツです。イートインコーナーで一休みしながら食べる事ができます。

「アーモンドクラッシュポッキー」がスプーン代わり。ムースの様に軽いクリームを、ポッキーですくって味わいます。ふわっとした口どけと、カリッとしたポッキーの食感の層が折り重なり、絶妙な美味しさです。

普段なかなか食べることのできない、グリコの出来立てのお菓子。じっくりと時間をかけて出来上がる「アーモンドチョコレート」や、ここでしか買えない限定商品を吟味したり、市販のものと食べ比べるのも◎。大人から子供まで、楽しめる事間違いなしのスポットです。

ぐりこ・や Kitchen 東京駅店
住所 〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-9-1 東京駅一番街 地下1階 東京おかしランド内
駅・アクセス JR 東京駅直結
営業時間 9:00~21:00
定休日 無休

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